この胡乱な時代に、創造と挑発を。
批評の匕首(あいくち)を――。
戦後思想の転換期に、埴谷雄高、吉本隆明らと苛烈な論争を繰り広げ、
文学から思想、芸術、映画まで、逆説と韜晦に彩られた
緩急自在のレトリックで、
前衛運動に多大な影響を与えた
鬼才・花田清輝のエッセンス!
※本書は、2014年11月6日から福岡市総合図書館と福岡市文学館(中洲の赤煉瓦館内)で開催される
『運動族・花田清輝〜骨を斬らせて肉を斬る』展の趣旨に沿って、主な花田の批評作品のうち、
現在書籍として流通していないものを中心に再編集し、収録したものです。
[目次]
草創期の産物――『日本抵抗文学選』解説
再出発という思想
手れん手くだ――政治の毒、文学の毒
思い出――花田清輝
太刀先の見切り
『復興期の精神』初版跋
日本における知識人の役割
日本民族政策の指導原理
ノーチラス号応答あり
ものぐさ太郎
現代史の時代区分
歌の誕生
偶然の問題
ジャーナリスト
二十世紀における芸術家の宿命――太宰治論
テレザ・パンザの手紙
花田清輝(はなだ・きよてる)
作家・文芸評論家。1909年(明治42)、福岡市に生まれる。旧制福岡中学から鹿児島の第七高等学校に進むも、出席日数不足により退学。1928年(昭和3)九州大学文学部哲学科の聴講生となる。1929年(昭和4)京都大学文学部英文科選科に入学。1931年(昭和6)第8回サンデー毎日大衆文芸賞入選作「七」を同誌に発表、同年11月同学中退。1933年(昭和8)上京、三宅雪嶺や中野正剛らの主宰した『我観』(後に『東大陸』と改名)誌等に寄稿。1939年(昭和14)『東大陸』の編集者となり、中野正剛の弟・中野秀人らと「文化再出発の会」を結成、機関誌『文化組織』を発行。1940年(昭和15)に『東大陸』編集の職を辞し、以後サラリーマン社、木材通信社、軍事工業新聞社などの記者を務める。戦後、東京都北多摩郡狛江村に移り、『復興期の精神』、『錯乱の論理』、『二つの世界』等を刊行し注目を浴びる。1947年(昭和22)岡本潤、加藤周一、中野秀人、中村眞一郎らと「綜合文化協会」を結成、機関誌『綜合文化』を発行。同年、埴谷雄高、野間宏、岡本太郎、関根弘らと「夜の会」結成。1952年(昭和27)には雑誌『新日本文学』の編集長となる(2年後更迭)。1957年(昭和32)、安部公房、佐々木基一、玉井五一、野間宏、長谷川四郎らと「記録芸術の会」結成、機関誌『現代芸術』を創刊。この頃『アヴァンギャルド芸術』『さちゅりこん』『政治的動物について』等の著書を刊行。高見順や埴谷雄高、吉本隆明らとの論争を繰り広げたほか、文学から政治、映画、芸術に至る幅広い分野における批評活動で若い世代の思潮に大きな影響を与えた。戯曲「泥棒論語」で第1回週刊読売新劇賞、『鳥獣戯話』で毎日出版文化賞を受賞。1974年(昭和49)9月23日没。その他の著書として評論集『近代の超克』、小説『小説平家』、戯曲『爆裂弾記』等がある(一部は講談社文芸文庫として復刊)ほか、『花田清輝評論集』(岩波文庫)、『花田清輝著作集』(全7巻、未来社)『花田清輝全集』(全15巻/別巻2、講談社)等の作品集が刊行されている。
[判型・ページ数ほか]
刊行:2014年11月30日
判型:四六判並製
ページ数:176ページ