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画・甲斐大策

ボクシングと大東亜 

東洋選手権と戦後アジア外交
乗松優
ISBN978-4-907902-11-7
本体:2200円+税

第33回大平正芳記念賞受賞!
書評続々!重版出来!
朝日新聞(2016/8/28=武田徹氏評)
読売新聞(2016/8/21=松山巌氏評)
毎日新聞(2016/8/21=中島岳志氏評)
日本経済新聞(2016/7/24=増田俊也氏評)
週刊文春(2016/9/1号=後藤正治氏評)
週刊新潮(2016/8/25号=立川談四楼氏評)
文藝春秋(2016/9月特別号、片山杜秀氏、亀山郁夫氏、山内昌之氏の鼎談書評)
共同通信ほか

鉄道王・小林一三の実弟にして「聖地」後楽園を率いた国粋主義者、
稀代のフィリピン人興行師と共に暗躍した元特攻ヤクザ、
キリスト者として平和の架け橋となった最強の東洋王者、
メディア王・正力松太郎、そして昭和の妖怪・岸信介など、
テレビ史上最高視聴率96%を記録した
戦後復興期のプロボクシング興行の舞台裏で
見果てぬアジアへの夢を託して集った
男達の実像に迫る、〈もうひとつの昭和史〉。

関係者の証言や資料をもとに、大戦中100万人以上が犠牲となった
フィリピンとの国交回復をめぐる葛藤と交流の軌跡を描いた力作。

(巻末に日本ボクシングの父・渡辺勇次郎の遺稿「廿五年の回顧」を収録)

◎主な登場人物
【ボクサー】
渡辺勇次郎、岡本不二、ライオン野口、ピストン堀口、白井義男、金子繁治、三迫仁志、ファイティング原田、矢尾板貞雄、勝又行雄、沼田義明、藤猛、ダニー・キッド、フラッシュ・エロルデ、レオ・エスピノサ、ラリー・バターン、サンディ・サドラー、ダド・マリノ、パスカル・ペレス、エデル・ジョフレほか
【興行師・トレーナー・活動家・政治家】
田辺宗英、真鍋八千代、小林一三、正力松太郎、ロッペ・サリエル、ジョー・イーグル、瓦井孝房、田岡一雄、嘉納健治、阿部重作、レイ・アーセル、サム一ノ瀬、スタンレー・イトウ、ラルフ円福、カーン博士、エディ・タウンゼント、中村信一、野口進、岩田愛之助、末永節、児玉誉士夫、小佐野賢治、許斐氏利、岩田幸雄、岸信介、ダグラス・マッカーサー、ラモン・マグサイサイ、マニュエル・ケソン、エルピディオ・キリノ、ベニグノ・アキノ、ほか

【目次】
序 章 忘れられた栄光

第一章 「帝国」の危機とスポーツ
  一 ボクシングを通じた「東洋」の再編 
  二 大日本帝国体制下の東亜競技大会、極東選手権大会 
  三 大英帝国を「延命」したコモンウェルス・ゲームズ

第二章 日比関係はいかにして悪化したか?
  一 反日感情の源泉 
  二 占領政策の失敗 
  三 悪化する対日感情 
  四 「大東亜」の死と再生

第三章 興行師たちの野望とアジア
  一 大東亜共栄圏なき時代の「東洋一」 
  二 ロッペ・サリエル――アジアをつないだ希代の興行師 
  三 瓦井孝房――周縁に生きる顔役

第四章 テレビ放送を支えた尊皇主義者
  一 テレビ時代の幕開け 
  二 日本テレビの目論見 
  三 田辺宗英――聖地・後楽園を率いた憂国の士
 
  四 勤皇・愛国主義の再生 
  五 ライオン野口と愛国社――大統領に招かれた国粋主義者

第五章 岸外交における露払いとしての東洋チャンピオン・カーニバル
  一 東南アジアへの回帰 
  二 岸外交、二つの課題 
  三 外貨不足とカーニバルの開催

第六章 ボクサーにとっての東洋選手権
  一 科学技術と戦後日本 
  二 白井義男――「日米の合作」によって生まれた日本初の世界王者 
  三 アメリカの代理人としてのフィリピン 
  四 「科学的ボクシング」への道 
  五 沼田義明と藤猛――「国産」チャンピオンの誕生

第七章 戦後ボクシングと大衆ナショナリズムの変容

終 章 「大東亜」の夢は実現したか?

●本書「序章 忘れられた栄光」より

 二〇〇三(平成一五)年三月二五日、古希を過ぎたばかりの一人の元ボクサーが、フィリピンのウォール街、マカティで行われた記念式典に招かれた。寒の厳しさが残る東京からじっとりと汗ばむ陽気のマニラまで、直行便でわずか四時間ほどの距離だ。スペイン植民地時代のコロニアル様式を模したペニンシュラ・ホテルには国内外から数百人もの招待客やマスコミが駆け付け、会場は開幕前から異様な熱気で包まれている。来賓席には、後に世界ボクシング協会=WBA、世界ボクシング評議会=WBC、国際ボクシング連盟=IBF、世界ボクシング機構=WBOで世界タイトルを六階級も制覇するマニー・パッキャオ(一九七八〜)が、フィリピンの伝統衣裳である純白のバロン・タガログに身を包み、にこやかな笑みをたたえている。
 日本からやって来た老ボクサーの名は、金子繁治(一九三一〜二〇一六)。半世紀以上も前に、豪腕で鳴らした元東洋フェザー級王者だ。この時、金子は七一歳。物静かで紳士然とした風貌からはその面影をうかがい知ることはできないが、金子はかつてフィリピンのベビー・ゴステロ(一九二〇〜二〇〇〇)やラリー・バターン(一九二八〜)、アメリカのサンディ・サドラー(一九二六〜二〇〇一)といった世界屈指の強豪と死闘を演じ、国際舞台に復帰したばかりの日本を沸かせた。なかでも、フィリピンの英雄と呼ばれる元世界ジュニア・ライト級王者、フラッシュ・エロルデ(一九三五〜八五)が一度として勝てなかったボクサーがこの金子であったことを知る者は、ボクシングのオールド・ファンを除き、いまや殆どいないであろう。
 金子が受賞したのは、この名選手に因むもので、「ガブリエル・〝フラッシュ〟・エロルデ記念賞(the Gabriel “Flash” Elorde Memorial Awards)」という。フィリピン・ボクシング界に功績のあった選手やマネージャーらを讃える式典で、日本人ボクサーとして受賞の栄誉に浴したのは、金子が初めてであった。不条理な格差が人の一生を決定する現地社会において、大衆は拳一つで巨万の富を稼ぐ選手に最大級の敬意を払い、ボクシングは国技に等しい扱いを受ける。授賞式の模様は国内全土に生中継されるほど人々の関心を集め、時の大統領グロリア・マカパガル・アロヨからも祝辞が寄せられた。往年の名ボクサーである金子の顕彰は、フィリピンのボクシング界がいかなる歴史の上に成り立っているのかをあらためて国民に示唆した。
 金子の東洋王座獲得から今年(二〇一六年)ではや六三年。今でこそ、世界の檜舞台で日本人選手の活躍を見ない日はない。しかし、歴史を紐解けば、ついこの間まで世界における中軽量級のトップ・ランナーはフィリピン人選手によって半ば独占されていたことがわかる。
…中略…
 そのフィリピン人に栄光と活躍の場をもたらしたボクシングが奇しくも、アメリカ植民地支配の落とし子であったことは歴史の皮肉である。
 多大な犠牲を伴う独立革命(一八九六〜)によって、三〇〇年以上のスペイン支配に終止符を打ったはずのフィリピンが、しかし独立を達成できなかったのは、新たなフロンティアを目指して一九世紀の国是であるモンロー主義を破棄したアメリカの介入とそれに続く米比戦争(一八九九〜一九〇二)に敗れたからであった。
…中略…
 あまりの技の切れ味に〝閃光〟と呼ばれたエロルデや、柔らかい身のこなしで不敵な笑みを投げるレオ・エスピノサ(一九三〇〜)など、一癖も二癖もあるフィリピン出身の東洋王者は日本のファンや選手、指導者を魅了し続けた。一九五四(昭和二九)年、早成の世界王者、白井義男がアルゼンチンのパスカル・ペレス(一九二六〜七七)に敗れてから、一九六二(昭和三七)年にファイティング原田(一九四三〜)によって世界のベルトが日本へ還ってくるまで実に八年の歳月を要したこともあって、一九五〇年代に日比(日本―フィリピン)選手間で争われた東洋選手権のうち、半数以上の試合が五千人を超える観客動員数を記録している。一九五五(昭和三〇)年、日本テレビの中継による白井対ペレスの世界フライ級リターンマッチが、テレビ史上の最高視聴率九六・一%を記録したように、ボクシングは文字通り、日本国民挙げての一大関心事だったのである。
…中略…
 しかし、フィリピンとの国交が断絶していた一九五〇年代において、ボクシングによる交流は極めて異例と言えた。
 第二次世界大戦末期、マニラに籠城した日本軍と首都奪還を図るアメリカ軍との熾烈な市街戦で、一〇万人もの市民が巻き添えで死亡するなど、一連の戦争で犠牲となったフィリピン人は、民間人を含めて一一一万人を数えた。一方、日本側の被害も甚大で、フィリピンに送り込まれた将兵六〇万人のうち、八割を超える五〇万人が戦没した。
 敗戦後、命からがら日本へ戻ってきた引き揚げ者の体験や、戦争犯罪人に対する軍事裁判の厳しさもあって、後ろめたさに駆られた日本社会はアジアに対する関心を急速に失っていく。そして、もう一方の当事国であるフィリピンも、戦争の痛手からなかなか立ち直れず、強い対日不信感を募らせていた。
 戦争犯罪が裁かれ、賠償交渉が難航している最中に全盛期を迎えた東洋選手権は、時代の端境期に咲いた徒花のようであった。ただし、季節はずれの花が実を結ばないのとは違って、東洋選手権は日本政府ですら手が着けられないほど傷ついた信頼回復に、民間レベルで寄与した。後に詳しく述べるように、一部のアジア諸国との関係改善が、政府による戦後処理に先駆け、ボクシングという大衆文化において実現されていたのである。
…中略…
 復興期から高度経済成長期にかけて人気を博したこのスポーツ・イベントは、今となってはその存在すら人々の記憶から消え去ろうとしている。しかし、戦後のある一時期まで、プロボクシング東洋選手権は、敗戦によって打ちひしがれた日本人のアイデンティティを救済したと言っても過言ではない役割を担っていた。では一体、いかなる社会条件が重なって、アジアを舞台にしたこの国際スポーツ興行は成立していたのだろうか。本書では、戦前の国粋主義者やいわゆるアウトローたちがこのボクシング興行に関与していた事実や、テレビ放送の開始、国交正常化への取り組みの裏側で暗躍した興行師や政治家、そしてこの時期選手として実際にリングに上がった人物たちにスポットを当てながら、日本のアジア回帰の知られざる、しかし見逃してはならない一面を探っていきたい。
(※筆者注=ボクサーの英語表記、出典元など一部省略しています)

著者略歴:乗松優(のりまつ・すぐる)
1977年、愛媛県松山市生まれ。九州大学大学院比較社会文化学府修了。博士(比較社会文化) 現在、関東学院大学兼任講師。専攻:スポーツ社会学、カルチュラル・スタディーズ(文化研究)

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